院長「広田和茂」の自己紹介

私は東京都荒川区に4人兄弟の長男として生まれました。名前は、両親が届出の期限ぎりぎりまで考え、「広い田んぼに、平和に茂る」という意味でつけてくれたそうです。小さい頃は活発に運動するというよりは、黙々と静かに遊ぶといったことが好きでした。車のおもちゃを買ってもらっても、走らせて遊ぶのではなく、裏側にひっくり返し、じっくりと観察するのが印象的だったと、母から聞きました。寝るときはいつも祖母と一緒だったので、祖母の影響も受けていると思います。また、父がとても祖母を大切にする姿を見て育ちましたから、私も両親を大切にしたいという思いが強いです。

小学校では水泳を習いました。あの北島康介の所属する東京スイミングセンターです。ここでは、まず初めにクロールを教えます。クロールで50m泳げるようになると、他の泳ぎを教えてもらえます。しかし、クロール50mに合格し、ちょうど次回から平泳ぎなどを教えてもらえるといった時に、風邪をひいてしまいました。結局、私の平泳ぎは、父に教えてもらった、いわば自己流です。しかしその平泳ぎを含め、小学校最後の検定で念願の1級に合格しました。一年生の頃は水中の皿拾い(6級)さえできなかっただけに、とても嬉しかったです。勉強はなんといっても算数が好きでした。他の教科はそっちのけで、算数ばかりやっていた気がします。こういったこともあり、大学は数学科へ進みました。

大学卒業後は、コンピューターメーカーである日本アイ・ビー・エムへ就職しました。会社では通信ソフトウェアの保守を行い、スキー部と馬術部に所属していました。スキーは大学時代から少しずつやっていましたが、なかなか上達しないためスキー部に入りました。一番多いときでは年間50日くらい滑り、SAJ 1級も取ることができました。馬術に関しては、たまたまクラブ主催の体験教室があり、これですっかりはまってしまいました。年間100鞍(一回40分くらいの騎乗を1鞍と数えます)ほど騎乗、日本社会人団体馬術連盟A級を取得して、大会にも出場しました。動物が好きな方に馬術はお勧めです。乗馬クラブで体験騎乗を行なっていますので、一度体験されてはいかがでしょうか。

仕事に関しては、ソフトウェアの保守からSE(システムズ・エンジニア)業務に変わり、日々の忙しさの中、将来のことを考えるようになりました。もともと手先を使った作業が好きだったこともあり、もっと職人的な仕事がしたい。そして直接、人のためになる仕事がしたい。できる限り一生働きたい。といった希望をもとに探していたところで、歯科医師という職業に出会いました。実は父も手先を使った職人的な仕事をしていたので、小さい頃から父の背中を見て育ったことが、どこかで影響していたのかもしれません。

以下は、小学校の卒業文集から、「僕の夢」の抜粋です。
(前略)いままでに、つくられたこともないミニミニコンピューターをつくったりしてみたい。あともう一つは、医者になって、手術をしてこまっている人をたすけることです。

まわりからの心配の声もありましたが、歯学部の2年に編入学し、私の2度目の大学生活は始まりました。現役の学生さんとはかなり歳が離れていたので、年配の先生の方がかえって話があう、なんてこともありましたが、現役の学生さんも度々、私を飲み会に誘ってくれました。一度社会人を経験していたので、大学教育において、勉強する態度や教育内容に関しては、厳しい目をもっていたため、やや煙たい存在であったかとは思います。歯学部は6年生まであるのですが、この5年間はよく勉強しました。やはり生活がかかっていると、人は真剣になるものです。卒業時には、主席こそ届きませんでしたが、上位数名がもらう賞をいただきました。

歯科医師になってみて、やはり一番大切なのは誠実さだと、あらためて感じています。口先でうまいことばかり言っても、いつかは見ぬかれます。診療で手を抜けば、どこかでしっぺ返しを受けます。こつこつと誠実に毎日の診療に取り組めば、その心は必ず患者さんに伝わるはず、という事が私の信念です。歯科医師は一生勉強が必要な職業です。これからも常日頃、新しい知識を吸収し、皆様のお役に立てるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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